リディツェ村の記念碑/Lidice Memorial


2023年6月某日、チェコのリディツェにあるメモリアル公園を訪れた。ここは1942年6月に、ナチスドイツによる『リディツェの虐殺』が行われた場所である。多くの村人が、この場所で殺害され、後に村は全て焼き払われ、跡形もなくなった。ここでは、リディツェ村の歴史や虐殺の被害について学ぶことのできる。今回、ひと月ほどリディツェに隣接するクラドノのという街に滞在する機会があったので、訪れた次第である。

ここが公園に一番近いバス停のようす。

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畑に囲まれた喉かな場所である。訪れた日は平日であったが、バス停の周辺には多くの学生と思われる団体がいた。目的の場所は一緒で、社会科見学だろうか。早速、私もバス停からメモリアル公園を目指す。

こちらが公園の入り口付近のようす。

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広大な公園は、芝生が刈り取られ、綺麗に整備されている。ちなみに現在は公園となっているが、当時はこの辺りも、住宅や畑があった場所である。

50mほど歩くと、開けた場所に出る。

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宮殿にある園庭のような場所では、ステージのような物が設営されている最中であった。週末に何かイベントでも開催されるのであろう。お邪魔にならないよう、周辺を探索する。

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当時の様子を描いた壁画があった。リディツェ村には当時503名の方が住んでいた。リディツェの虐殺は、ナチスドイツの高官であった『ラインハルト・ハイドリヒ』がプラハで暗殺されたことの報復として行われた。これはナチスドイツが行ったホロコーストの中でも、最も残忍な虐殺行為のひとつとして知られている。

壁画には、その時に強制送還された女性や子供たちの姿が描かれている。壁画に沿って進むと、建物を発見する。とくに問題なさそうなので、中へと入ってみる。

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ここでは、リディツェの虐殺以前の村の様子がパネルや展示品などで紹介されている。そこには、只々喉かな田舎の村の姿があった。展示品を見ているだけで、息が詰まる思いである。

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リディツェ村の子供たちの様子である。彼らの多くは、村から遠く離れた場所に強制送還された。そして後に、多くの子供たちはヘウムノ絶滅収容所で殺害される事となる。当時、村にいた105名の子供のうち、再びリディツェ村に帰って来れたのは、わずか17名であった。

続いて、展示スペースから南へと進むと、メモリアル公園の全貌が姿を現す。

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広大な草原のように見えるが、この一帯に住宅や学校、教会があった。村はナチスドイツによって放火された後に、まるで最初から村など無かったかのように、残った建物も全て破壊された。

続いて、この場所で最も印象的なモニュメントへと向かう。

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これはリディツェの虐殺で犠牲になった子供たちの像である。実際に対面して、これほど胸を撃たれる像は初めてである。少し大きな子供たちには、恐怖や絶望感の表情が見え、前にいるまだ物心も付いていないような子供たちは現状を上手く呑み込めていない何とも言えない表情をしている。

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もちろんリディツェ村の全ての住民たちには、何の罪もないが、やはり子供たちの犠牲はあまりにも残酷である。これから訪れる楽しい日々や学びの時が、一瞬にして奪われてしまうのだ。彼らの像の前にはトーチと小さなぬいぐるみが手向けられていた。

引き続き村の跡地を見て回る。

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この長い道の両側には当時、民家が並んでいた。リディツェ村は人口がそれほど多くなかったので、建物が埋め尽くすようにあったというよりは、点在していた感じである。村は農業などで生計を立てており、ペットや家畜も多くいたのだが、それらの動物たちも、村の男性たちと共に全てが殺された。

そして先でも伝えた通り、女性や子供たちは強制収容所へと連行され、住人たちがいなくなった村は跡形もなく破壊されたのだ。今でも建物の基礎と思われる物が、わずかに残されていた。

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また村の高台には、聖マルティン教会があった。聖マルティン教会はリディツェ村の記録が残る当初から存在する歴史深い教会であったが、こちらも例外なく破壊された。教会の跡地には祭壇があるのだが、これもあくまで後に教会の存在を示すものとして置かれたものである。

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教会の先には墓地がある。こちらも当時、破壊されたが、現在は綺麗に整備されており墓地としての役目を果たしている。門は閉ざされており、入ることは出来なかったので、外からその姿を撮影させて頂いた。

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しかし、なぜナチスドイツの高官が、暗殺されたことの報復として、このリディツェ村が破壊されたのか、それは事件の捜査を行っていたナチスの親衛隊と警察が、この村の出身者が暗殺事件に関与している可能性がある手紙を発見したのが、きっかけである。しかし、実際には確固たる証拠は発見されなかったが、いち早く何らかの報復措置を取りたかったヒトラーの指示により、リディツェの虐殺が行われた。

まったくと言って良いほど、道義性に反する行いである。

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最後に入り口付近に戻り、先ほど入った建物とは別の展示スペースへと入ってみる。

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こちらの建物は入場料がかかるが、当時の貴重な映像を鑑賞することができる。そこにいた彼らの動く姿を観ると改めて、彼らの死に対する悲しみと虐殺行為に対する怒りが沸いてくる。

私は3時間ほど滞在し、リディツェ村を後にした。

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今回、チェコの滞在において、最も訪れて見たかったリディツェ村に来れたことは、とても貴重な時間であった。日本でも戦争の被害と悲惨さに関し、学べる場所はたくさんあるが、リディツェ村のように戦争の犠牲で消えて行った村が、そのまま歴史を伝える場所となっているのは、他に類を見ない貴重なものである。これからも世界中の色々な場所を訪れて行きたい。

おわり。

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Lidice Memorial

Ruins of a village destroyed by the genocide near Prague. You can learn a lot by coming here. It is a very precious place.

Location: Lidice Czech
Shooting date: 6/2023
Category: Historical place
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