タリン国防軍墓地/Tallinna Defence Forces Cemetery
2022年7月某日。
エストニアのタリン国防軍墓地を訪れた。
この墓地はタリンの中心街より少し離れた場所にある。今回のエストニア滞在、最後の目的地に設定していたタリン国防軍墓地。エストニアの歴史を知るにおいて、魅力的な場所だと思い訪れた次第である。
こちらが墓地の入り口の様子。
特に派手に装飾された門などはなく、シンプルな入り口である。ちなみにここから1kmくらい東へ行くとバスターミナルがある。私もリガへ帰るための時間が迫っていたので、早速、墓地へと入らせていただく。
軍墓地ということもあり、敷地内の墓地はある程度統一されたデザインとなっている。このタリン国防軍墓地は第一次世界大戦中にタリン守備隊の墓地として設立された。
また1918 年にロシアからの独立を図るために始まったエストニア独立戦争において、亡くなられたエストニア兵や同盟関係にあったイギリス海軍や陸軍の兵士も、この墓地に眠っている。
敷地内にはこんなモニュメントもある。
こちらは1933年に設立された独立戦争の指導者たちを称えるモニュメントである。静かな墓地にとても似合う美しい姿である。
しかし、その後エストニアはソ連の統治下に入る。そして多くの墓石やモニュメントも破壊され、タリン国防軍墓地も第2次世界大戦後はソビエト占領軍によって占拠された。
その時代に設立されたと思われるロシア語で書かれた墓標なども幾つか確認することができる。
タリン国防軍墓地のような場所一つとっても、エストニアを含むバルト三国がどれだけ戦争という歴史に翻弄されて来たのかを感じることができる。
ソ連統治下において、多くの墓が破壊される中、当時、お墓のメンテナンスを行っていたリンダ・スームレさんはお墓に眠る兵士たちの遺体が損傷しないよう35年もの間に渡り、守り続けたとのことだ。
そして、1991年ソ連からの独立回復を宣言したエストニア。タリン国防軍墓地も復旧されることとなった。墓地やモニュメントは次々と復元され、長きに渡り、この墓地に眠るイギリス軍の遺体を守り続けたリンダ・スームレさんはエリザベス 2 世女王から大英帝国勲章を授与された。
2007年には第2次世界大戦で亡くなった兵士たちを称える青銅の兵士がこの墓地へと移動され、いまではタリン国防軍墓地のシンボル的存在となっている。
右手にはヘルメットを抱え、亡くなっていた仲間たちを称える一方で、左手の拳は強く握りしめられ、その怒りを表している。
私は1時間ほど滞在し、タリン国防軍墓地を後にした。
決して広い墓地ではないが、そこにはエストニアの歴史と戦争で亡くなった多くの兵士たちが眠っていた。結局のところ、戦争が生み出すのは無数の墓地と悲しみだけである。
おわり。
Tallinna Defence Forces Cemetery
Beautiful military cemetery on the outskirts of Tallinn. It's a small place, but it holds a lot of history.
Location: Tallinn Estonia
Shooting date: 7/2022
category: Cemetery & Funeral
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