パタレイ刑務所博物館/Patarei Prison Museum

【シリーズ 世界の博物館】

2022年7月某日。
エストニアのタリンにあるパタレイ刑務所の博物館を訪れた。

この博物館はタリンの市街地より北に位置し、もともと要塞として築かれた建造物を第一次世界大戦後から2005年まで刑務所として使われてきた。その歴史はエストニアの歴史と共にあり、とても過酷な運命を背負ってきた。現在は刑務所の一部が博物館として開放されている。

こちらが博物館の入り口。

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近代的な刑務所とは違い、重厚な壁に覆われた少し不気味な雰囲気である。

早速、入り口にあるチケット売り場でチケットを購入。

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何だかブリトーでも売っていそうな可愛らしいチケット売り場だ。チケット代€8.00(約1,160円)を支払い、いざ館内へ。

館内の様子がこちら。

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まさに刑務所といった感じだ。博物館となっているのは刑務所全体の半分ほどでしかないのだが、思いのほか館内は広く、多くの独居房や雑居房が確認できる。

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最大で5000人近くがこの場所に収容されたこともあるようだ。しかし、この刑務所に収監されていた人たちは民主主義において決して罪人と呼べる方たちではなかった。

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エストニアを含むラトビア、リトアニアのバルト三国は第一次世界大戦から第二次世界大戦において、ソ連とナチスドイツによって統治された歴史をもっている。その歴史のなかで、このパタレイ刑務所も彼らによってコントロールされた。多くのエストニア人やユダヤ人が逮捕され、このパタレイ刑務所に収監されたり、または本国への送還の中継点として使われていたようだ。

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第二次世界後はエストニアの法務省の管轄となり、2002年12月まで刑務所として使われていたようだ。館内ではその複雑なパタレイ刑務所の歴史をパネルや写真などで紹介している。

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正直、英語が難しく、理解できなかった部分もあるが、当時の雰囲気やその冷酷な歴史は館内を歩く事で感じることができた。

私は1時間ほど滞在し、パタレイ刑務所博物館を後にした。

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バルト三国で最後の訪問国となったエストニア。パタレイ刑務所の博物館を訪れることで、バルト三国が短い期間で受けた二重ジェノサイドの歴史について、また学べる機会となり、とても有意義な時間であった。

最後に。

パタレイ刑務所の半分は現在、イベント会場やカフェなどとして使われているようだ。

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パタレイ刑務所はヨーロッパの歴史的な遺産などを保護する団体『Europa Nostra』において2016年に『最も危険にさらされている 7 つの場所』に指定されている。これからも後世にその残酷な歴史を伝えるため、是非、保護に努めて頂きたい。
※近日、大規模な改修工事が行われるという情報もあるので、訪問される方は是非、事前に営業状況をご確認ください。

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おわり。

Patarei Prison Museum

One of the places where you can learn about the dark history of Estonia. The hall is very large and a great learning facility.

Location: Tallinn Estonia
Shooting date: 7/2022
category: Historical place
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