アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館/Muzeum Auschwitz-Birkenau
【シリーズ 世界の博物館】
2021年12月某日。
ポーランドのオシフィエンチムにあるアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館を訪れた。
ここは第二次世界大戦中にナチス・ドイツによって行われたホロコーストにおいて作られたアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の跡地に作られた博物館である。その歴史はあまりにも残酷であり、それらを後世に伝えるべく、1979年にユネスコ世界遺産に登録されている場所である。
こちらがアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館(第1収容所)の入口である。
入場には必ず事前の予約が必要であり、個人で申し込む場合にはインターネットから予約が必要となる。また入場料は基本無料となるが、各言語のガイド付きのツアーを申し込む場合には費用が掛かる。英語も分からない私は個人で観覧することにした。荷物検査の後、アウシュヴィッツの敷地内へと入る。
ちなみに天候がコロコロ変わるのだが、色々とあり、滞在中に3回アウシュヴィッツを訪れている。
そしてアウシュヴィッツの中でも最も印象的な場所の一つである正門へと来た。
ゲートには「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)」と書かれている。実際には自由など、そこにはなく、多くの方がこの場所で命を落とすことになる……。
敷地内は博物館となった今でも当時の様に有刺鉄線が張り巡らされている。当時は電流も流れていたらしい。
そしてこの鉄線の内側には、多くの収容棟が並ぶ。
現在は各棟ごとに様々な展示が行われている。アウシュヴィッツの歴史はもちろん、各国のユダヤ人対するホロコーストや時代背景などが写真や当時の物で細かく説明されている。
こちらは収容された人たちが着せられていた縞模様の服である。
前に鑑賞したアウシュヴィッツを題材とした映画を思い出し、少し目頭が熱くなる……。
また収容された人が使っていた靴や鞄、食器などの展示はかなりインパクトとあるものだった。
続いて大量虐殺が行われたガス室と焼却炉に入った。
こちらはアウシュヴィッツに最初に作られたガス室である。後に少し離れた第2強制収容所に4つのガス室が作られることになる。
Wikipediaによると使用されたガスは『チクロンB』というガスで、32分で800名を処刑することが出来たという。殺された人たちはこの部屋の横にある焼却炉で焼かれ、近くの川に捨てられたという……。
こちらも多くの人が処刑された場所のひとつである。
『ブラックウォール』と呼ばれるこの場所でも多くの収容者たちが、ナチスの親衛隊によって射殺された。ここは二つの棟の間に作らており、外から聞こえてくる銃声は考えられないほどの恐怖であっただろう。
続いて私は通称『死の門』と呼ばれるゲートがあるアウシュヴィッツ第2強制収容所に向かった。
第2強制収容所も通常、無料で入る事は出来るが要予約である。
第1収容所より広いこの場所には、当時300以上の収容施設があり、世界最大の強制収容施設とも言われている。またヨーロッパ中からユダヤ人などを集めるため引かれた線路も残されている。
その線路は決して戻る事の出来ない死の門へと続いている……。
収容者を乗せていたトロッコも展示されている。それはどう見ても人が乗るためのものではなかった。
第2収容所の収容施設はその多くが既に壊されており、現在残っているのは数十棟だけである。
壊された収容施設の場所には何故か煙突だけが残されていた。
こちらは残されている収容施設の中の様子。
煉瓦と木で作られたお粗末なベッドルームが並ぶ。厚手のジャケットを着た私でも凍えるような寒さの室内。収容者たちはこの寒さの中、とても過酷な時を過ごしたと思うと胸が痛い。
計3日間の観覧を終え、私はアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館を後にした。
人類史上最も残酷に人の命が奪われた場所の一つであるアウシュヴィッツ収容所。前から訪れて見たかった場所に来れた喜びはなく、その歴史について、より深く知りたいという気持ちが強まった。これから世界中の色んな場所を巡っていきたい。
おわり。
Muzeum Auschwitz-Birkenau
The most important place of sin in human history. By coming to this place, I could feel a lot of sadness.
Location: Oświęcim Poland
Shooting date: 12/2021
category: Historical place
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